ふるさと環境保全 ENVIRONMENT

私たちが生まれ育った土地「熊本」を土木の目線で楽しむ。そして、守り歩むこと。

環境保全の取組み

私たち「十八測量設計」では、業務内容でもあります測量・設計業務を通して周辺地域の環境保全を考え、様々な取組みを行っております。日頃の業務を通してできること、社内での取り決め等、私たちの身の回りの環境を、地域に優しい環境に変えていくことが出来ればと考えております。一つひとつは小さなことですが、広い思いやりの心と健全な未来を願い、私たちは今後も歩み続けます。

業務を通しての取組み

(1)多自然型デザイン壁等
河川護岸、山留擁壁等
(2)ユニバーサルデザイン
お年寄りや体の不自由な方へ配慮した道路計画、舗装計画等
(3)既存構造物の延命化検討
コンクリート橋の耐震補強等
(4)環境負荷軽減型の施工計画
騒音、振動対策等
(5)現地発生材の再利用計画
掘削土砂の再利用等
(6)県産品の活用
間伐材の利用、河川浄化目的の木工沈床等
(7)環境緑化の推進
敷地造成に係る環境緑化の設計

社内での取組み

(1)空調温度の設定
・夏場の冷房温度(28℃程度)
・冬場の暖房温度(18℃程度)
(2)事業系紙ゴミの減量
ゴミの減量、CO2排出削減
(3)電子文書化の取組み
回覧文書及び業務成果の電子化管理
(4)緑化イベント等への協力
啓発活動
(5)昼休時間の消灯
省エネルギー
(6)喫煙コーナーの設置
全社禁煙に伴う対処
(7)エコドライブの実施
排気ガスの排出削減


土木と熊本を楽しむ

私たちの街、熊本について、更に興味と関心を持ち、少しでも理解を深めるキッカケ作りができればと思い、土木にスポットを当て、楽しむコーナーを設けました。

ふるさとの風景

花鳥風月、会社周辺、仕事の合間に集めたふるさとの風景をご紹介しています。
面白い地名、景色、季節感などをご紹介できたらと思います。
各地の見どころ、または楽しめる時期を再確認し、熊本の自然を楽しんでいただける足がかりとなればと思っております。
熊本の風景01(H28年2月)
人吉 大畑梅園
※梅の香りに包まれ、春のぬくもりを満喫しました。小鳥のさえずりを聞くには、あと一時必要のようです。
熊本の風景02(H28年3月)
遥拝堰
※菜の花の開花を見て、農作業の始まりを感じている、遥拝堰。

路傍にたたずむ土地改良記念碑たち

熊本県内各地に、農業を生業とし生活を豊かにする為行われてきた土地改良事業の記念碑が数多く建てられています。その数700基程を数えます。
このコーナーは、これら熊本の農業・農村を築いてきた先人達の英知と努力に思いを馳せ、その記録を紹介するものです。
(注)記念碑一覧は、熊本県発行「熊本県土地改良史」に登載されています。整理番号は、この一覧表の順番に基づいています。
溜池築堤顕彰碑(大切畑ダム)
2017.4 整理番号:阿29
大切畑ダム改修記念
2017.4 整理番号:阿30



路傍にたたずむ土地改良記念碑たち
所在地:西原村大字小森1238地先
建立年:M22.10
建設者:小森村中

碑文・概要(写真右の碑):

当溜池は安政2年8月堤防築立の工を起こし同6年夏に至り全く竣工を奏せり 此の費用銭千貫其の他人夫を要せし若干なれども 当村50町有余の新田出来し 永遠の福祉を与えられたるは偏に発起周旋人の功徳に依る 其の労を謝する為此碑に姓名を刻して後世に伝う

総庄屋 矢野甚兵衛
山支配 下村伝之助
横目役 野田敬之丞
手 代 坂田新三郎
手 代 須藤 英太
同銭方 荒木 元一
庄 屋 坂田喜左衛門
明治22年10月建之小森村中
(西原村教育委員会資料引用)



整理番号:阿30

大切畑ダム改修記念

揮毫者:熊本県知事 沢田一精

所在地:西原村大字小森1238
建立年:S52.4
建設者:小森土地改良区
碑文・概要
事業の沿革
 昭和41年、新熊本空港建設の計画を契機に、その周辺の高遊原台地を中心とした畑地に対する農業開発の機運が高まり、各種の土地改良事業が実施された。このうちでも、西原村・益城町・菊陽町の3町村に跨がる畑地646haについては、最大規模の事業として、県営により、圃場整備と畑地かんがい施設をあわせ実施した。大切畑ダムはこれら畑地かんがい用水の唯一の水源となるもので、安政6年築造の旧堤を全面的改修嵩上げにより、近代的ダムに一新したものである。 昭和52年4月建立 熊本県
小森土地改良区







大切畑ダム概要:
貯水量 851,000
満水面積
堤高 23m
かんがい面積
工事期間 昭和45年1月~51年6月
主要工事
  ダム改修土工
  トンネル改修工
  馬頭集水路改修工
  鍋田集水路改修工
  自動
  ダム・・事務所新築工
工事費 624,444千円

金剛干拓記念碑
2019.5 整理番号:八2
大切畑ダム改修記念
2017.4 整理番号:阿30



整理番号:八1

新地百年記念碑

揮毫者:菊池武生

所在地:八代市二見町洲口(堤防敷)
建立年:S17.9.21(旧暦)
建設者:不明
碑文・概要
 洲口新地築造記
 天保の始め 地元住民は新地築造の要望おこす 当時世話係発起し 庄屋蓑田栄蔵を動かし 田浦手永会所を通して 細川藩邸に反復情願 ついに工事の重責を負わせて 其の許可を得た 工事は会所役人岩本勘左衛門 庄屋簑田栄蔵及び地元民の献身的熱意により 幾多の困難を排し 天保14年9月21日 に潮止めが工事完成した 由来この日を式典祭日とした 以来 百年の間各地に風雨の惨害があっても新地の築堤は厳として破れず 
 これ 我等祖先の熱意を凝して本工事を完成させたものと信じ ここにその遺徳を思い記念の碑を建立する

整理番号:八2

金剛干拓記念碑

揮毫者:坂田道男

所在地:八代市南平和町
建立年:S32.3
建設者:外山組 社長 岡山万作
碑文・概要
金剛干拓は政府の緊急食糧自給計画に基き昭和18年8月農地開発営団によって請負人外山組の手で着工されたものであるが当時は大戦の終末期で資力労力共に欠乏して工事は遅々として進まず終戦を迎えた
 昭和22年9月営団が閉鎖されて農林省が之を引く次いでから工事は漸く軌道に乗り昭和28年3月汐止工事が完工干陸され引継いで堤塘並に内部工事共次第に進捗して昭和32年3月には168戸の入植者並に118戸の増反者が鍬を入れることになった  思えば着工以来十有余年未曽有の天変事に遭遇しこの間幾多の困難が到来したが従業員並に請負者一同不屈の精神を以てこれを突破して所期の目的を達し昭和32年3月遂に建設工事を竣工するに至った
 今この盛事を記念する為め茲に碑を建立しその概要を録し以て之れを後世に伝える

整理番号:天73

溜池工事記念

揮毫者:技師日隈発起人上元甚助

所在地:天草市新和町小宮地
建立年:S15.3
建設者:不明
碑文・概要:無し
(昭和15年に作られた、5畝程の極々小さな溜池。水源の乏しいこの地域にとって、周囲の限られた水田を潤す貴重な水源として、地元民によって作られたのでしょう。)

整理番号:天78

(松原土手について)

揮毫者:不明

所在地:天草市新和町小宮地
建立年:不明
建設者:地元
碑文・概要: 松原土手について
松原土手は、延宝元年(1673年)から4年間の歳月をついやして完成しました。
永さ295間(約500メートル)、断面は高さ3間(5.4メートル)、下幅(基礎部分)5間(9.0メートル)、上幅(天端部分)3間(5.4メートル)の台形状のものです。
海に面した石垣は、下に{葦}や{ヘゴ」等を束ねて敷き、その上から松材で作った木の枠で押さえ基礎を作り、その上に石垣を築いています。後方の土盛り部分は、木や竹で作った型枠に、土・砂利・石等を詰め込んで固め、築堤しています。
樋門部分は、石板を縦に並べて壁状に組み立ててあり、石板と石板の間は「シュロを混ぜた石灰」で目地を詰め、海水が入らないように工夫されていました。樋門は両脇に柱状の石を立て、それに溝を彫り、「さぶた」と呼ばれる木造の戸板を上下し、潮が満ちて来た時は「さぶた」を下ろして門を閉め海水の浸入を止め、干潮時は「さぶた」を上げて門を開いて川の水を海に流していたようです。
ここにあるのは平成13年から行われた合志橋改修に伴い橋脚の基礎部分より掘り出されたものの一部を復元した「この様な形をしていた」という参考的なものです。

整理番号:熊1

石塘堰改築記念碑

(正二位子爵 清浦奎吾書)

所在地:熊本市中央区二本木1丁目41
建立年:大正14年6月
建設者:石塘堰普通水利組合
碑文・概要: 石塘堰は慶長年間加藤公の築造になり○無比と称せられ爾来細川公○度の修築を経て今日に及べり然るに歳月の久しき河川の状態に変動を来して漸く昔時の姿を喪い近年洪水の際には○之沿岸地域に浸水の害あるに至る茲に石塘堰普通水利組合に於て之か改築を企て本県の補助と本市の寄附を仰ぎて昨年十月工を起し時を○すること七個月財を費すこと拾有壹萬圓不撓の勇気と精巧の技術を盡して本年四月全て其の工を竣ふは本市並に地元二本木町有志の奮起に依る○れも美挙と謂うべし仍て之か顛末を録して碑に刻む
大正14年6月
(HP taronの日記より)

整理番号:熊4

石塘堰改修記念碑

揮毫者:熊本県知事 沢田一精

所在地:熊本市二本木1丁目41
建立年:S54.11
建設者:石塘堰土地改良区
碑文・概要: 慶長年間までの坪井川は、現在の熊本駅付近で白川に合流、共にその水勢を合わせ更に分岐し、有明海に注いでいた。
そのため、加藤清正公は熊本城築城を期に、坪井川の坪井川の河道改造を進めると共に石塘堤切りを築造。白川と分離せしめ、これによって・・防・・農地の潅漑、舟・の利便がはかられることとなったが、この石塘堤防は、治水技術の上からは、瀬割堤といい日本最古のものである。
堰の築造は、加藤清正公時代に考えられていたと思われるが、築造ははるか後年の細川家入城のあとで、細川忠利公とその家老松井・之によるものといわれている。
本初の堤は、現在の二分の一程度で、河床から約4メートル水位をせき上げて用水路に流下させるものであり、一尺二寸の角桧木を重ねる簡単な可動堰で、角落堰といわれるものであったが、これによって農業生産は飛躍的に増加し、地域発展の原動力になったことは、いうまでもない。
近世に至り、大正11年、熊本市の上水道計画がなされたが、その際には、坪井川水源を守らんとして、地元住民は身命をとして、当局と交渉したという。
また、大正12年の大洪水を経て、角落堰・・的な鉄製巻揚扉式に大改造されることになり、同13年に起工、翌14年に完成した。その後も、たびたび洪水に見舞われ、とりわけ、今だ記憶に新しい昭和28年、32年の相次ぐ大洪水によって、同32年自動転倒堰に改造された。
坪井川の抜本的改修をはかる必要から、熊本県において、昭和50年度より坪井川改修事業が進められることとなり、その一環として約4億7千万円をもって本堰の移築が、同52年度に起工、54年11月新堰が完成したものである。
なお、これに伴う幹線水路の改良工事についても、当土地改良区において事業費約5億6千万円をもって昭和53年に起工、同55年に完成した。
ここに、先人の偉業しのび、熊本県、熊本市御当局並びに関係者のご尽力に感謝の意を捧げるため記念の碑を建立するものである。
昭和54年11月吉日
石塘堰樋土地改良区

整理番号:熊4

石塘堰改修記念碑

揮毫者:熊本県知事 沢田一精

所在地:熊本市二本木1丁目41
建立年:S54.11
建設者:石塘堰土地改良区
碑文・概要: 慶長年間までの坪井川は、現在の熊本駅付近で白川に合流、共にその水勢を合わせ更に分岐し、有明海に注いでいた。
そのため、加藤清正公は熊本城築城を期に、坪井川の坪井川の河道改造を進めると共に石塘堤切りを築造。白川と分離せしめ、これによって・・防・・農地の潅漑、舟・の利便がはかられることとなったが、この石塘堤防は、治水技術の上からは、瀬割堤といい日本最古のものである。
堰の築造は、加藤清正公時代に考えられていたと思われるが、築造ははるか後年の細川家入城のあとで、細川忠利公とその家老松井・之によるものといわれている。
本初の堤は、現在の二分の一程度で、河床から約4メートル水位をせき上げて用水路に流下させるものであり、一尺二寸の角桧木を重ねる簡単な可動堰で、角落堰といわれるものであったが、これによって農業生産は飛躍的に増加し、地域発展の原動力になったことは、いうまでもない。
近世に至り、大正11年、熊本市の上水道計画がなされたが、その際には、坪井川水源を守らんとして、地元住民は身命をとして、当局と交渉したという。
また、大正12年の大洪水を経て、角落堰・・的な鉄製巻揚扉式に大改造されることになり、同13年に起工、翌14年に完成した。その後も、たびたび洪水に見舞われ、とりわけ、今だ記憶に新しい昭和28年、32年の相次ぐ大洪水によって、同32年自動転倒堰に改造された。
坪井川の抜本的改修をはかる必要から、熊本県において、昭和50年度より坪井川改修事業が進められることとなり、その一環として約4億7千万円をもって本堰の移築が、同52年度に起工、54年11月新堰が完成したものである。
なお、これに伴う幹線水路の改良工事についても、当土地改良区において事業費約5億6千万円をもって昭和53年に起工、同55年に完成した。
ここに、先人の偉業しのび、熊本県、熊本市御当局並びに関係者のご尽力に感謝の意を捧げるため記念の碑を建立するものである。
昭和54年11月吉日
石塘堰樋土地改良区

整理番号:上2

農魂

揮毫者:熊本県知事 沢田一精

所在地:御船町大字小坂171-2
建立年:S58.3
建設者:御船中央土地改良区
碑文・概要: この事業は 御船町及び嘉島町の一部地区を受益地域とする圃場整備事業を後述の如き目的で 県営土地改良事業として施工されるよう企画したものである
本地区は 矢形川を挟み 左岸は緑川水系の御船川に設けられた玉虫頭首工系約10町歩 若宮頭首工系約174町歩 上六嘉小樋系約25町歩 門前堰系約8町歩 矢形川の四の宮頭首工系約85町歩 上高野頭首工系約8町歩 及び甘木頭首工系約40町歩の水田からなっていたが 旧来地区内を流れる矢形川が曲折甚だしく 雨期ごとに冠水する水害の常襲地帯であるため 上高野頭首工(水神堰)を挟んで小坂地区と高木地区住民は不眠不休で堤防の決壊防止作業に当たっていた 当時 麦の刈干後 夜間大雨が降れば水田に刈干中の麦は流出し収穫皆無の年が重なる状態であり そのため今回 圃場整備事業と併行して矢形川改修工事を施行する計画を県及び建設省に要請したところ 3ヶ年計画の補助工事として採択され 河川工事の掘削土全部を他に搬出することなく 右岸高木地内の低地部に利用することで改修工事が施行された
元来 圃場は不整形で且つ狭小であり 水路は用排水兼用であるため 水管理が十分でない一方道路網も未整備のため 農業近代化が妨げられていた そのため これらの障害を取除き 区画整理を行ない農業の近代化を計ることを目的として 御船町及び嘉島町において 昭和45年11月28日に事業計画を決定し 申請を行ったものであり 昭和46年度において総面積360町歩 総事業費5億4千万円で採択され 昭和46年度より着工し地権者の協力により工事も順調に進み 農道 用排水路を分離した縦100m 横30mの整然とした圃場に整備され 昭和57年度までに16億5百万円余の巨額を投じてすべての工事が完了した ここに本事業の竣工を記念すると共にこの事業の完成によって今後のこの地区の農業が益々繁栄することを記念し碑を建立し我々の遺産とする
昭和58年3月吉日
御船中央土地改良区 理事長 藤本義明 撰

整理番号:上39

下白旗耕地整理記念之碑

揮毫者:熊本県知事 沢田一精

所在地:甲佐町大字白旗
建立年:S40.5
建設者:下白旗耕地整理事業組合
碑文・概要:下白旗基盤整備事業記念碑文
我々は日本農業の将来の展望に立ち 此の地域の農業の集約的経営 生産性の高揚からしても旧構成の圃場状態では駄目だとして 根本的に基盤及圃場整備を組合員総意に依って断行したのである。
事業区域内には石塚原野八ヶ所 湿地帯二ヶ所約2町歩 点在する墓地も在りし事を記し置く。圃場は1筆3反とし碁盤形に3メートル幅の農道を走らせ 灌排水路を一筆毎に確然とし 農林省助成の大型トラクター二台 大型防除機三台を直ちに導入。
尚緑川堤防 古閑部落 吉田部落間1300mの堤防構築を事業遂行の一環として 建設省に猛運動の結果 緑川改修特別調整予算が認められ本事業と併行して完了した。
又古閑部落より五反部落の県道改修も本事業の一環であった。
緑川堤防沿いの用水路の約1/2と堤防沿い農道は国有地である事を特に明記する。
勿論本事業は国策としての農業改善事業であり 熊本県のモデル事業として 県当局並に甲佐町役場の御指導ご努力に対し深く敬意を表するものである。

起工 昭和38年12月
竣工 昭和40年5月
面 積  136町
工事費  43,438千円
受益農家 198戸

整理番号:菊6

地域改善対策農業基盤整備事業竣工記念碑

揮毫者:合志町長 衛藤成喜

所在地:合志市竹迫
建立年:S59.3
建設者:合志町
碑文・概要:此の地域は本町の北東部に位置し 他町村との境界に位置する谷間で 一滴の水も無い曲折した悪条件の排水路も 一度雨が降ると濁流が渦を巻いて流れ 農民が苦労を惜しまず育て上げた農作物は 一瞬にして土砂に埋もれること数数 梅雨期に入ると 農民は空を眺め 明日の天気をうかがいながら永年災害に悩まされ続けてきた 又排水路も日向川と名付けられたが 日頃は川と言う名ばかりの水無川である
昭和55年8月30日 此の地域最大の水害で 民家数十軒の床下床上浸水の大災害を受け 我々の先祖が血の滲む思いで拓いた農地は瓦礫と化した 又此の上流には 高度経済成長により宅地造成 大型企業の進出で益々流水量が増加することは言うまでもない 此の懸念を解決するため 関係行政の指導により地域住民の本事業に対する理解と意欲が盛り上がった 昭和55年度に調査計画がなされ 56年度より日向川改修工事と併せ 国の施策である地域改善対策特別措置法によって 日向地区ほ場整備事業が着工され 引き続き57年度より県道より上流の日向川改修工事と併せ 日向第二地区ほ場整備事業が着工され 58年度で完成をみた 本事業の完成により 環境も改善され近代化農業相応し高能率農業の基盤は確立された
此の二大事業は 関係機関の特別な配慮とご指導により 先駆的役割を果たした役員 並びに一致協力して頂いた地域住民の困苦を乗り越えた功績は 真に偉大なものである ここに碑を建て後世に伝える

昭和59年3月吉日
吉岡末男誌

事業の概要
日向地区
1 工事名 日向地区ほ場整備
1 工事費 188,800千円
1 施工期間
自昭和55年11月
至昭和58年3月
1 施工面積 19ヘクタール

日向第二地区
1 工事名 日向第二地区ほ場整備
1 工事費 351,400千円
1 施工期間
自昭和57年11月
至昭和58年3月
1 施工面積 33ヘクタール

日向川改修工事
1 総延長 3,300メートル
1 河川用地 5,2ヘクタール

整理番号:菊14

清泉原開田之碑

元農林大臣 松野頼三

所在地:七城町十三部
建立年:S43.10
建設者:七城町
碑文・概要:急速なる経済の高度成長の洗礼を受け農村は曲り角に遭遇し国は農業基本法を制定農業の基本方針を示して所得の増大を図る施策を推進せり即ち農業所得増大特に畑地生産性向上の為開田事業を思い立ち角組合は融資事業の共同施行として建設課の指導に依り地下百メートルより40馬力の水中ポンプ電力揚水により毎分1.6トン以上の水量を確保し目的を達成せり43年度に於いては清泉原は殆ど水田化し秋の豊饒は只々感嘆の極みである時恰も明治百年の秋に当たり左記七組合は相諮り記念碑を建立し以て此の画期的事業を後世に残すものなり
組合名   竣工年月    面積   工費
○○○    昭和41年5月 21ha 2200万円
○○○    同        8,08ha
○○○    同        8.04ha
○木山    同      4,09ha  520万円
大久保第一 昭和42年5月 4,05ha  530万円
○○○    同        4,03ha  480万円
○○木    同        4,02ha  607万円
工事施行者 さく井及び配管 熊本溝田鉄工所
設計及び整地 熊本県土地改良連合会
世話人
野中勇   栃原実   田代政継
堀田英夫  牧行雄   本田寅雄
石井清之  田代保俊
建設課長 増永達   同主任  徳永敏男
昭和43年10月
七城村畑地開田組合連合会長 野中勇 誌

整理番号:球2

豊𩜙 県営北人吉地区圃場整備事業 第一期工事荒毛田工区竣工記念碑

揮毫者:熊本県知事 沢田一精

所在地:人吉市下原田町大字羽田
建立年:S51.10
建設者:熊本県
碑文・概要: 着工 昭和49年12月
竣工 昭和51年 6月
面積 31.9ヘクタール
総工費 133,600,000円
昭和51年10月9日建立

整理番号:球8

豊饒 第三期工事中央工区 竣工記念碑

揮毫者:熊本県知事 細川護煕

所在地:人吉市瓦屋町
建立年:S58.7
建設者:熊本県
碑文・概要:着工 昭和52年11月1日
竣工 昭和57年3月31日
面積 135.3ヘクタール
総工費1,010,769,000円

県営北人吉地区圃場整備事業中央工区